歌詞の和訳 No.010
Tzion Tamati
ツィオン・タマティ

 
ツィオン・タマティ、ツィオン・ヘムダティ、
ラフ・ナフシー・メラホーク・ホミヤー

ティシュカフ・イェミニ・イム・エシュカヘフ、ヤファティ
アド・テエタル・ボール・ギブリー・アライ・ピーハ
私の純粋なるシオンよ、我が愛しいシオンよ
私の魂は遠くからあなたを慕う

我が美しき者よ、もし私があなたを忘れることがあるならば私の右手は萎えてしまうだろう
私の墓の穴が私の上にその口を閉じるまで
  


 シオンとはエルサレムが立っている丘を意味します。転じてエルサレムのことを指しています。
紀元前587年ユダ王国がバビロニアにより滅ぼされ(バビロン捕囚)、国を失ってから、シオンの都(エルサレム)への望郷と忠誠の心を歌った歌が数多く作られてきました。
 有名な聖書の詩篇第137編などは捕囚の憂き目にあっているイスラエルの民の嘆きをよく表しています。

 この街は紀元前1000年頃古代イスラエル王国の2代目の王となったダビデにより、異民族エブス人から奪い取られました。
3代目の王シュロモ(ソロモン)の時に第一神殿が建設され古代イスラエル王国は全盛期を迎えました。
(シュロモの死後北のイスラエルと南のユダに分裂、北のイスラエルはユダ王国よりも先にアッシリアにより滅亡)
 後にバビロン捕囚から解放されて帰還した人々が神殿を再建します(第二神殿)が、紀元70年ローマ帝国により破壊され、ユダヤ人は長い離散(ディアスポラ)の時代を迎えます。

 以来2千年の歴史を超えて現在に至るまで、エルサレムはユダヤの人々の精神的な支えであり続けてきました。(現在イスラエル国の首都)
 現在も数多くのエルサレムに関する歌が作られ、人々に愛唱されています。
中でも、エルサレム市歌として名高い、ナオミ・シェメル作詞作曲「黄金のエルサレム」は全世界のユダヤ人から親しまれています。

 一方、イスラエル・パレスチナの中東和平交渉の中で最も解決困難といわれるものの一つがこの「エルサレム問題」です。
パレスチナ側が将来の国家の首都としてエルサレムを欲しているのに対して、イスラエルもエルサレムを「未来永劫不可分の首都」としてとらえているからです。
今後の中東和平の行方が注目されます。('99.12.31)

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