●イスラエルは1948年に独立しましたが、独立戦争(第1次中東戦争)の結果、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区はヨルダン王国が占領してしまいました。エルサレム旧市街がイスラエルの手に渡るのは19年後の六日戦争(第3次中東戦争)まで待たねばなりませんでした。
1967年、イスラエルの国民的シンガー・ソングライターであったナオミ・シェメル作詞作曲のこの歌をシューリー・ナタンが歌い、その年の独立記念日の音楽祭で発表、その直後の六日戦争でエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸がイスラエルに奪還されました。
これにより、ユダヤ人は旧市街の嘆きの壁で祈りを捧げることができるようになりました。全世界のユダヤ人から親しまれたこの歌は「第2の国家」とも呼ばれ、一時はクネセット(国会)で「ハティクバ」(希望)に代えて国家とする議案が提出されたこともあったそうです。
2017.11.15
●4番の歌詞は六日戦争でエルサレム旧市街(東エルサレム)をイスラエルが奪還した直後、作者のナオミ・シェメルが書き加えたそうです。
2番の歌詞で「イェリコ街道から死海へ下っていく者はいない」とはつまり、エルサレム旧市街(東エルサレム)とその東側(ヨルダン川西岸地区)は六日戦争まではヨルダンが占領していたので、ユダヤ人は死海へ行くのにエリコを経由(エリコは西岸地区にある)する、近い方のコースを取ることはできませんでした。西エルサレム(イスラエル側)からは南西方面にぐるっと迂回せねばなりませんでした。
4番の「再び私たちはエリコを通って死海へ下っていこう」とは、東エルサレムおよびヨルダン川西岸もイスラエル領となった今、エリコへ下る道を通って直接死海へ行けるようになったという意味だそうです。
【参考】:『イスラエル 民族復活の歴史』ミルトス社
2018.07.24
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