歌詞の和訳 No.083
Yerushalaim Shel Zahav
イェルシャライム・シェル・ザハヴ (黄金のエルサレム)

1.
アヴィール・ハリーム・ツァルル・カヤイン・
ヴェレイアハ・オーラニーム
ニサー・ベルーアハ・ハアルバイム・
イム・コル・パアモニーム

ウヴェタルデマット・イラン・ヴァエヴェン・
シュヴヤー・バハロマー
ハイール・アシェル・バダド・ヨシェヴェット・
ウベリバー・ホマー

繰り返し
 イェルシャライム・シェル・ザハヴ・
 ヴェシェル・ネホシェット・ヴェシェル・オール
 ハロー・レホール・シーライフ・
 アニー・キノール

2.
エイフ・ヤブシュー・ボロット・ハマイム・
キカル・ハシュク・レイカー
ヴェエイン・ポケッド・エト・ハル・ハバイト・
バイール・ハアティカー
ウバメアロット・アシェル・バセラ・
メヤレロット・ルホット
ヴェエイン・ヨレッド・ヤム・ハメラフ・
ベデレフ・イェリホ

繰り返し
 イェルシャライム・シェル・ザハヴ・
 ヴェシェル・ネホシェット・ヴェシェル・オール
 ハロー・レホール・シーライフ・
 アニー・キノール

3.
アフ・ベヴォイ・ハヨム・ラシール・ラフ・
ヴェラフ・リクショル・クタリーム
カトンティ・ミツァイール・バナイフ・
ウメアハロン・メショレリーム
キー・シメフ・ツォレヴ・エト・ハスファタイム・
キネシカット・サラフ
イム・エシュカヘフ・イェルシャライム・
アシェル・クラー・ザハヴ

繰り返し
 イェルシャライム・シェル・ザハヴ・
 ヴェシェル・ネホシェット・ヴェシェル・オール
 ハロー・レホール・シーライフ・
 アニー・キノール

4.
ハザルヌー・エル・ボロット・ハマイム・
ラシュク・ヴェラキカル
ショファル・コレー・ベハル・ハバイト・
バイール・ハアティカー
ウバメアロット・アシェル・バセラ・
アルフェイ・シェマショット・ゾルホット
ナシュヴ・ネレッド・エル・ヤム・ハメラフ・
ベデレフ・イェリホ

繰り返し
 イェルシャライム・シェル・ザハヴ・
 ヴェシェル・ネホシェット・ヴェシェル・オール
 ハロー・レホール・シーライフ・
 アニー・キノール


山々の空気はワインのように澄みわたり
松の香りが
黄昏どきの風にのって、
鐘の音と共に立ちのぼる

木や石たちがまどろんでいる中
すべては夢の中に
ひとりただずむ街
そしてその内には城壁が


黄金と赤銅、
そして光のエルサレムよ
あなたを讃えるすべての歌に、
私はたて琴となって奏でよう


なぜ池の水は乾き、
街の広場には人の姿が絶えてしまったのか
また旧市街、神殿の丘には
祈りの声が聞こえないのか
岩山の洞窟には風がむなしく
吹きすさぶ音が聞こえ
イェリコ街道から死海へ
下っていく者はいない


黄金と赤銅、
そして光のエルサレムよ
あなたを讃えるすべての歌に、
私はたて琴となって奏でよう


しかし私は今日あなたに歌を捧げるために
あなたに王冠を結びつけるためにやってきた
私はあなたの息子たちの年若い者よりも、あなたを
たたえる人々の最後の者よりも取るに足らない存在です
あなたの名はくちびるを焦がし、
燃える口づけとなる
すべてが黄金であるエルサレムよ、
もし私があなたを忘れるならば


黄金と赤銅、
そして光のエルサレムよ
あなたを讃えるすべての歌に、
私はたて琴となって奏でよう


私たちはその貯水池に、市場に、
そして広場に帰ってきた
旧市街、神殿の丘に
ショファル(角笛)の音が響き渡る
そして岩山の洞窟には
幾千もの光が輝き出でて
再び私たちはエリコを通って
死海へ下っていこう


黄金と赤銅、
そして光のエルサレムよ
あなたを讃えるすべての歌に、
私はたて琴となって奏でよう



イスラエルは1948年に独立しましたが、独立戦争(第1次中東戦争)の結果、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区はヨルダン王国が占領してしまいました。エルサレム旧市街がイスラエルの手に渡るのは19年後の六日戦争(第3次中東戦争)まで待たねばなりませんでした。
 1967年、イスラエルの国民的シンガー・ソングライターであったナオミ・シェメル作詞作曲のこの歌をシューリー・ナタンが歌い、その年の独立記念日の音楽祭で発表、その直後の六日戦争でエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸がイスラエルに奪還されました。
 これにより、ユダヤ人は旧市街の嘆きの壁で祈りを捧げることができるようになりました。全世界のユダヤ人から親しまれたこの歌は「第2の国家」とも呼ばれ、一時はクネセット(国会)で「ハティクバ」(希望)に代えて国家とする議案が提出されたこともあったそうです。
 2017.11.15

4番の歌詞は六日戦争でエルサレム旧市街(東エルサレム)をイスラエルが奪還した直後、作者のナオミ・シェメルが書き加えたそうです。
 2番の歌詞で「イェリコ街道から死海へ下っていく者はいない」とはつまり、エルサレム旧市街(東エルサレム)とその東側(ヨルダン川西岸地区)は六日戦争まではヨルダンが占領していたので、ユダヤ人は死海へ行くのにエリコを経由(エリコは西岸地区にある)する、近い方のコースを取ることはできませんでした。西エルサレム(イスラエル側)からは南西方面にぐるっと迂回せねばなりませんでした。
 4番の「再び私たちはエリコを通って死海へ下っていこう」とは、東エルサレムおよびヨルダン川西岸もイスラエル領となった今、エリコへ下る道を通って直接死海へ行けるようになったという意味だそうです。
 【参考】:『イスラエル 民族復活の歴史』ミルトス社
 2018.07.24

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