歌詞の和訳 No.014
Dror Ikra
ドロール・イクラ

1.
 デロール・イクラ・レベン・イム・バット
 ヴェインツォルヘム・ケモー・ババット
 ナイーム・シムヘム・ヴェロー・ユシュバット
 シュブメヌフー・ベヨム・シャバット

2.
 デロシュ・ナヴィー・ヴェウラミー
 ヴェオット・イェシャア・アセー・イミー
 ネェター・ソレク・ベトフ・カルミー
 シェエー・サヴェアット・ベネィ・アミー

3.
 エロヒーム,テン・バミドバル・ハル
 ハダス、シター・ベロッシュ・ティドハル
 ヴェラマズヒール・ヴェラニゼハル
 シェロミーム、テン・ケメイ・ナハル


主が息子、娘たちに自由と解放を告げられる
ひとみの(輝きの)ような冠を授けられる
あなたたちの名は喜びであり、損なわれることがない
シャバットにともに座して満ち足りたときを過ごしなさい
 (※ユダヤ教の安息日:金曜日没から土曜の日没まで)

わたしに住まいと安らぎを与えてください
救いの印をわたしに成してください
わたしのブドウ畑に苗が植えられる
わたしの民が嘆いているときに


主よ、荒れ果てた山に植えてください
ミルトスやアカシアを、イトスギやニレの木を
教え導く者と従う者に与えてください
川の流れのように豊かな平和を




 ▲ イスラエルの切手
 (イエメンからの帰還者)



曲はイエメンの民謡です。日本語訳はヘブライ語の歌詞および英訳された資料を参考にしました。
歌詞について調べてみると、金曜日の晩、安息日を迎える夕食時に歌われる歌であり、10世紀半ばスペインのコルドバで、中世のユダヤ教学者・詩人・文法学者であるドゥナシュ・ベン・ラブラト(915-970)という人物によって書かれたそうです。(当時はスペインのユダヤ文化の黄金時代)彼はモロッコのフェズで生まれ、バグダッドで当時高名なラビ(ユダヤ教学者)、哲学者であるサアディア・ガオンに学んだ後、スペインへ渡りました。
 (参考:Wikipedia)

私見ですが、この詩はひろくスファラディ(後にスペインから追われてアラブや地中海世界に広く住んでいたユダヤ人)系のユダヤ人に親しまれてきたものなのだろうと思いました。実際、検索してみるとおびただしい数の歌が出てきます。歌詞は同じでもさまざまなメロディの歌が。(現在でも新たな曲が作られているのでは?)私たちがイスラエルダンスで踊る、おなじみの(?)曲はイエメンの民謡にこの歌詞が付されたものであり、その他いろいろなバージョンがあるのですね。
ちなみに、踊る会でもたまにかかる「デフカ・ドロール」という曲は、メロディは違いますが、歌詞は全く同じものです。
ここで紹介したのは1-3番のみです。実際には2番と3番の間にもう一つ詩があり、また3番以降にも続いていますが、今回は割愛しました。(ダンスで使われているのはこの3パートがメインのようなので)
最後に、この詩の和訳に関しては自分の力不足を痛感しました。もっと古典に通じた方が訳するのがふさわしいのかなと考えます。いずれ訂正を加えることも視野に入れています。お気づきになった点があれば教えて頂ければ幸いです。
踊り方の参考にエリヤウ・ガムリエル氏振付
  דרור יקרא DROR YIKRA 1970

2018.07.27

   代表@クジラ
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