歌詞の和訳 No.025
Erev Shel Shoshanim
エレヴ・シェル・ショシャニーム

1.
 エレヴ・シェル・ショシャニーム
 ネツェー・ナァ・エル・ハブスタン
 モール・ヴェサミーム・ウレヴォナー
 レラゲレフ・ミフタン

●くりかえし
ライラ・ヨレッド・レアット
ヴェルーアハ・ショシャン・ノシュヴァー
ハヴァ・エルハシュ・ラフ・シール・バラット
ゼメル・シェル・アハヴァー

2.
 シャハル、ホマー・ヨナー
 ロシェフ・マレー・テラルリーム
 ピーフ・エル・ハボケル、ショシャナ
 エクテフェヌー・リー

●くりかえし
ライラ・ヨレッド・レアット

 バラの夕べ
 さあ、果樹園へ出かけよう
 没薬と香料、乳香は
 あなたの足のためのしきもの


  夜がゆっくりと降りてくる
  そしてバラの風がそよぐ
  私はあなたにひそかに歌をささやく
  愛の歌を


 しののめとともに、ハトの鳴き声が
 あなたの髪は夜露にぬれている
 朝の光の中であなたのくちびるはバラのようだ
 私はそれを摘み取ろう


  夜がゆっくりと降りてくる


ショシャナ・ダマリさん

 ショシャナ(ショシャニームは複数形)という名前のイスラエル女性はたくさんいます。私が住んでいたキブツ(開拓農村)にも複数のショシャナさんがいました。

 余談ですが、イスラエルで最も有名な歌手の一人であった、ショシャナ・ダマリさんが数年前に亡くなられたときの記事をご紹介します。
  (2006.2.21発行のヘブライ語新聞「シャアル」より)


 ヘブライソングの女王逝く

 「アネモネの花が私たちに与えられたのだった」先週金曜日、スポーツ文化教育相のメイール・シムリートはこのように述べて、その日の4日前(2月14日)に亡くなった歌手ショシャナ・ダマリの死を悼んだ。
ショシャナ・ダマリは金曜日、テル・アヴィヴのテルンペルドール通りにある古い墓地にて安らかな眠りについた。
彼女の棺のあとに親族、友人、芸能関係者、多くのファンが続いた。
その数時間前、彼女の棺はカーメリ劇場の舞台上に置かれ、その周りには何百というアネモネの花が飾られていた。
何千ものファンが最後の別れのために訪れた。

 多くの告別式参列者の中に、歌手でミュージシャンのイダン・ライヘルがいた。
彼は自分の最新アルバムで彼女と契約を交わしていた。
「アルバムの発表を2週間後に控え、病院で面会したとき私はショシャナの状況が改善し、また彼女はそれを必ず実現させるだろうと思った。」とライヘルは語った。
「診察室に入るとき彼女は“私には時間がない、早く行かなければならない。アルバムの発表があるのだから”と医者に言っていた。
私は思わず泣いた後、年齢や今の状況から考えて、まだ新たなアルバム発表の希望を持ちつつ人生を終えようとしているショシャナは尊敬に値すると思った。」

 ショシャナ・ダマリは自分の人生で多くの名声と成功を収めた。
“ヘブライ語の歌の女王”、“イスラエル音楽最初のプリマドンナ”と呼ばれた。
1988年にはイスラエル賞を受賞し、そして人生の最後まで活動し、歌い、またレコーディングを行った。
「彼女はイスラエルの声だった」とモシェ・カツァヴ大統領は哀悼する。「彼女の素晴らしい声と、すべてを成し遂げた活動を振り返るとそれがわかる」

 ショシャナ・ダマリはイェメンのダマルで1923年に生まれ、2才でイスラエルに帰還した。
子どもの頃から家族の祝い事の席で歌を歌っていた。
14才のときプロの舞台に初めて出ることになり、16才でコンサートをするようになった。
1943年“リ・ラ・ロ”という劇団に参加し、ナタン・アルテルマンが曲を、モシェ・ヴィレンスキーが歌詞を彼女のために書き始めた。
その歌の中に“カラニヨット”(アネモネ)という作品があり、他の曲にもまさって大ヒット、彼女の代名詞となった。

 彼女のファースト・アルバムは独立戦争のころ発表された。
50年代、彼女は数本の映画や、“シュラミート”(女性の名前)という彼女のために特別に書かれたオペラ作品に出演した。
60~70年代、数多く外国で活動し、“ヘブライソングの大使”と呼ばれた。
 1988年、ショシャナ・ダマリはマティ・カスピの制作による最後のアルバム“オール”(光)をレコーディングした。
そのアルバムの最初の曲“アダイン・カン”(まだここに)はショシャナの夫であり、レコーディングの少し前に亡くなったシュロモ・ボスミを偲んで書かれたものである。
ショシャナとシュロモの一人娘であるナヴァは現在カナダ在住である。
告別式でナヴァは母であるショシャナに驚くほどそっくりの歌声で、数多くのヒット曲の一つ“ハユー・レイロット”(その夜があった)を歌った。

 1988年、ショシャナ・ダマリはイスラエル賞を受賞した。昨年、彼女はイダン・ライヘルと契約し、彼のアルバム“ミマアマキーム”(深みから)の中で“アレー・ニダフ・バルーアハ”(風に舞う木の葉)と“ハエル・エト・エイナヴ”(彼の瞳を輝かせなさい)を歌うことになっていた。

 先週彼女は肺炎のため入院。数日後、友人たちに囲まれ“カラニヨット”が歌われている中、ヘブライソングの女王は眠りについた。享年83才であった。


    ※写真はCD「ShoshanaDamari」のジャケットより

 

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