歌詞の和訳 No.110
Hayu Leilot
ハユー・レイロット(夜があった)

1.
 ハユー・レイロット、アニー・オタム・ゾヘレト
 アニー・オタム・アド・ソフ・イェメイ・エサァ
 バミシュオリーム・ベイン・デカニヤ・レヒネレト
 アムダー・アガラト・ハヤイ・ハアムサー

 ヴェフー・ニガシュ:シムイー・エライ、クタントネト
 アニー・バニーティ・バイト・レシヴテフ
 アト・ティルコケミ・バエレヴ・リー・クトネト
 アニー・エンハグ・バヨム・エト・アガラテフ

 フー・ハヤー・アズ・バヒール・ヴェガヴォハ・ケゼメル
 フー・ナハグ・アガロット・ラサデー・ハラハヴ
 ヴァアニー・ロー・クトネト・ハイティ・ロケメト
 クトネト・シェル・トゥヘレト・イム・ペラフ・ザハヴ


2.
 ハユー・レイロット、アニー・オタム・ゾヘレト
 ヴェフー・エト・ハエツィーム・バガン・ヘイッド
 エト・ハシュヴィリーム・ベイン・デガニヤ・レキネレト
 キー・ラク・オティ・イシュモル・ロー・レタミド

 ハヤー・ホレフ・ヴェシャヴ・エライ・コデアフ
 ハヤー・ノセー・ドゥムティ・ミムル・パナヴ
 ハギドゥ・ナァ、ハイェシュ・バヘム・ヨデア
 エィ・アナ・ゼ・ハラフ・ロー・ヴェロー・シャヴ

 アズ・ハイティ・ボハー、アズ・ハイティ・ニドヘメト
 べサドット・レホキーム・オド・ハラフティ・エラヴ
 アノヒー・オド・ノセエト・クタントー・ハマルケメト
 クトネト・シェル・トゥヘレト・イム・ペラフ・ザハヴ


ハユー・レイロット、アニー・オタム・ゾヘレト…


夜があった、私は覚えている
私の最後の日まではっきりと
デガニヤからキネレットへの道すがら
私の人生の荷車は重く、立ちどまっていた

彼は近づいて、“聞いておくれ
君のために家を建てたよ
ボクのためにシャツを縫っておくれ
君の荷車を押してあげよう

彼は聡明で背が高く、歌いながら
広い野原 荷車を押してゆく
私は彼にシャツを縫った
空の色に黄金の花をあしらった



その夜のことを私は覚えている
彼は庭の木々を照らし
デガニヤからキネレットへの道の途中
いつまでも私だけを見守ってくれるから

熱病で私のもとを去ってしまったり戻ったり
彼は私の姿を自分の目の前に描いていた
知っていたら教えてください
彼はどこに?なぜ戻ってこないの?

私は涙して天を仰いだ
遠い野原で彼に駈け寄った
私はまだ彼のシャツを持っている
空の色と黄金の花のかざりのついた


夜があった、私は今も覚えている



1962年 リリース:歌手 エステル・オファリーム
作詩:ヤァコヴ・オルランド、作曲:モルデハイ・ゼイラ
※この詩が書かれたのは1930年代、イスラエル独立前の開拓の時代でした。
※エステル・オファリームはじめ多くのアーティストによってカバーされています。

意訳あり
※2番「熱病で私のもとを去ってしまったり戻ったり」
 開拓(独立前)初期のころ、北部ガリラヤ地方はほとんどが沼地で、蚊が媒介するマラリヤで多くのユダヤ移民が命を落としました。
 彼女の恋人(夫)もマラリヤ(熱病)で生死をさまよったのか、あるいは亡くなってしまったのかもしれません。恋人(夫)を懐かしむ、美しい思い出に浸る女性の気持ちを表現した歌なのだろうと感じました。もちろん、どう解釈するかはその人その人に任されているところですね。

踊り方の参考に
   アヴネル・ナイーム氏振付1998 היו לילות Hayu Leilot


2024.05.06





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