歌詞の和訳 No.031
Sham Harei Golan
シャム・ハレイ・ゴラン(キネレット)

 
1.
シャム・ハレイ・ゴラン
ホシェット・ハヤド・ヴェガア・バム
ビドゥママー・ボタハット
メツァヴィーム・アツォール
ビヴディウート・コレネット
ナム・ヘルモン・ハサバ
ヴェツィナー・ノシェヴェット
ミピスガット・ハツァホール

シャム・アル・ホフ・ハヤム
イェシュ・デケル・シェファル・ツァメレット
ストゥール・セアル・ハデキル
ケティノーク・ショバヴ
シェガラシュ・レマータ
ウベメイ・キネレット、
ウベメイ・キネレット
メシャヴシェフ・ラグラヴ

2.
マー・イルヴー・プラヒーム・
バホレフ・アル・ハケレフ
ダム・ハカラニート・
ヴェヘテム・ハカルコム
イェシュ・ヤミーム・ピー・シェヴァ・
アズ・ヤロク・ハイェレク
ピー・シヴイーム・テフラー・
ハトゥヘレット・バマロム

ガム・キー・イヴァレシュ・
ヴェアハレフ・シャホーアフ
ヴェハヤー・ハレヴ・
レマスオット・ザリーム
ハウハル・リヴゴド・バフ
ハウハル・リシュコアフ
ハウハル・リシュコアフ・
ヘセド・ネウリーム


シャム・ハレイ・コ゛ラン

あのゴランの山々に
手をさしのべ触れてみよう
安全な静けさの中で
「戦闘止め」という命令の
老人の(ような)ヘルモン山は
孤独の中で輝き、まどろむ
そして寒さが真っ白な
頂からやってくる

あの湖の岸辺(ガリラヤ湖)には
背の低いヤシの木があり
ヤシの木の葉(先端)が
髪の毛が見える、
隠れているいたずらっ子のようだ
彼は下へ滑り降りて
キネレットの水辺で
足をバタバタさせている


何が冬に花を
咲き誇らせるのだろう
アネモネの血(のような赤)、
クロッカスのオレンジ色の束
緑の碧さが
7倍にも
空の青さが
70倍にもなる日々

たとえ私が貧しさにあえぎ
よろめきながら歩もうとも
私の心が旅人のための
目印であり続けたとしても
私はどうしてあなたを裏切ることができよう
私はどうして忘れることができるだろうか
青春のころ豊かに恵まれたことを
  


キネレットとはイスラエル北部のガリラヤ湖のことです。その豊かな水源により、北部のガリラヤ地方は年中緑が保たれています。(近年は水位の低下を報じるニュースも時々耳にします)キネレットとはヘブライ語で「たて琴」の意味で、湖の形がそれに似ていることから名付けられました。

その東岸に広がるゴラン高原は1967年の六日戦争(第三次中東戦争)で、イスラエルがシリアから獲得した地域です。戦略上重要な位置にあることから、イスラエルはこれを併合。シリア内戦が終結し和平が進展すれば、将来は返還もあり得るかもしれません。

この歌はいつ戦闘が起こっても不思議ではない緊張下で、ふと辺りを見回すと山や湖が静寂の中でいつもと変わらぬ姿を見せている。一瞬ホッとすると共に平和への願い、豊かなキネレットの自然の中で青春時代を過ごしたことへの感謝も込められているような、そんな印象を持ちました。
2017.09.18

この歌詞の作者である女流詩人ラヘル(ラヘル・ブルーシュタイン・セラ)は、1919年、29歳のときロシアからイスラエルのキブツ(開拓農村)・デガニヤに移住。移住後まもなく結核を患いました。キブツの他のメンバーから、感染することを懸念して立ち去るよう強要され、その後、1931年に他界するまで貧しい放浪の生活を余儀なくされました。
 彼女の詩には、自身が愛したガリラヤ地方の風景を詠ったものや自分の願いを込めたものが多く、今日でもイスラエルの学校で教えられ国民の宝として親しまれています。また、その後の多くの作家に影響を与えているそうです。
 【参考】●『イスラエル 民族復活の歴史』ミルトス社
     ● https://www.googletop.info/?p=434600
2018.07.17

   代表@クジラ
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